2013年10月31日木曜日

実家帰省便り

 実家に帰省して
今日は妹と母を施設に迎えに行って
そのまま
出雲大社が60年目の平成の大遷宮なので
お参りに行ってきた。
さらに10月は日本全国の神が出雲大社に集う月であり
他の県は神無月だが出雲だけは神在り月と言われている。
 だから
10月最後、まだ全ての神が滞在中にお参りすれば
いいことがあるかも~と^^♪
今日が最後でもあったから^^☆

母が、大社内の敷地で
「しいの実」を見つけて
拾い始めたので、妹と私も手伝う結果に^^;
しいの実って食べれるらしい・・・。
知らなかったぁ~。
TV中継が来ていたり
結婚式が開催されていたり
ミニ菊花展があったりと
一日ゆっくり
親子でたっぷり楽しめた。

しかしさすが
平生の遷宮で神在り月だ。
平日にも関わらず、すごい人出だった。

2013年10月30日水曜日

花のメロディ♪

花の色
消えゆきけれど
秋の色
遠き山より
色づき弾む
小さな真っ赤なグランドピアノを
囲むように
花が展示販売されていた。
ちょっとおしゃれだ^^¥

観る顧客それぞれの心の中のメロディが
イメージの中で
奏でられるのようにとの計らいだろうか?
心和む
風景に出合うとちょっと幸せを感じてしまう。
これもちょっとした
おもてなしなのかなぁ~☆

さてさて
今回は実家からのブログ更新^^☆
父の法事をするので妹と一緒に帰省した。
姉妹との話は尽きない。
親子三人で親子珍道中の
日々が始まりまっす。

2013年10月29日火曜日

映画館で歌舞伎

数日前の
夕方から映画館で歌舞伎を見てきた。
なんと・・歌舞伎スクリーン会場は私一人独占^^;
ちょっと、笑けてきた^^☆
『連獅子』 『らくだ』の2本立て。

「連獅子」は2007年に新橋演舞場で上演された
河竹黙阿弥作による人気の演目を
山田洋次監督がシネマ歌舞伎にしたもの。

親獅子が子獅子を谷に突き落とし、
駆け上がってきた子獅子だけを育てるという故実を、
昨年他界した中村勘三郎と、
実の息子勘太郎(現・勘九郎)と七之助が演じることで
さらなる感動を呼ぶ作品だ。
クライマックスの白い毛の親獅子、赤い毛の子獅子による
息の合った豪快かつ、華麗な毛振りは必見!!
生の舞台を見たかったって正直思った。

「らくだ」は2008年に歌舞伎座で上演された
傑作古典落語が題材の演目。
勘三郎の久六と、坂東三津五郎の半次のコンビが
歌舞伎座を笑いの渦にした舞台のシネマ歌舞伎。
一人で手をたたいて笑った演目だったぁよ-☆

本来なら舞台で生で見るのが一番。
でもチケットを手に入れて
東京までいくまで熱心でもないものだから。
まずは、スクリーン歌舞伎を経験してみた。
ちなみにチケット2000円でしたぁ~♪

2013年10月27日日曜日

メタセコイア並木

マキノピックランドを縦貫する
町道沢牧野線と同様に続く県道小荒路牧野沢線には、
延長2.4kmにわたってメタセコイアが約500本植えられ、
マキノ高原へのアプローチ道として、
高原らしい景観を形成しています。
この並木は、

昭和56年に学童農園「マキノ土に学ぶ里」整備事業の一環として
マキノ町果樹生産組合が植えたのが始まりですが、
組合関係者をはじめとする地域の人々の手により慈しまれ、育まれて、
その後さらに県道も協調して植栽され、
延長が伸ばされたことから、現在のこの雄大な姿となったものです。

メタセコイアは、中国原産、スギ科メタセコイア属の落葉高木で、
和名はアケボノスギ。
最大樹高が115mにも及ぶといわれるセコイアにその姿が似ていることから、
メタ(変形した)セコイアと名づけられています。
春の芽吹き・新緑、夏の深緑、秋の紅葉、冬の裸樹・雪花と
四季折々に美しい円錐形のメタセコイアの並木と
まっすぐに伸びる道路が造り出す対称形の整った景観は、
遠景となる野坂山地の山々とも調和し、訪れる人々を魅了します。
平成6年、読売新聞社の「新・日本の街路樹百景」に選定され、

衆目を集めるに至っています。文はリンクです
何日か前に出かけてきたピックランド。
今年は出かけるのが遅すぎて
栗はゲッドできなかったが
かりんの実が
一杯落ちていたので拾ってきた。
かりん漬けは実が硬くで作る元気がないので
色づき、香る日だけを楽しみたい~^^♪

2013年10月25日金曜日

台風オンパレード

ここ数日台風の影響で
曇り空か、雨ばっかりで気分が冴えない~~;
何故これほどまで
台風が次から次へと発生するのか。

私の場合は
まぁ仕事が続いているから
恨めしさも
まだ、ましだけど・・・。
でも
被害のある伊豆大島の人々は
恨めしいどころの問題ではなく
台風接近は死活問題だ。
実際に
親族が亡くなったり見つからない人がいる。
不安や恐怖で
台風の行方を見守っていることだろう。

自然災害は予測がつかない。
だが
避難要請があったとしても
自宅の心地よい環境から離れたくない
まだ、大丈夫だろうと思ってしまって
自宅から避難しない人もいると聞く。
実際
ちょっと前の台風で自宅前の河が氾濫しかけ
避難するよう要請があったにも関わらず
避難せず自宅で様子をみていた私も
そうだったから
危機管理が甘いと言われれば
弁解の余地がない。

 実際に自宅まで被害が及んで
初めて避難し、救済支援者に
お手数をかけるようではいけないのだ。
自然を甘く見てはいけない。
そう痛感する被害を多く見ているのだから
私は学ばなければならない。

2013年10月22日火曜日

風よ


風が風と戯れる姿を見た
花が揺れる
私も揺れる
季節はいつもそうであるように
風から始まる

風が吹く限り
風が気まぐれである限り
星は地球であり続ける

私の中にも風はあり
時には吠え
時には凪ぎ
時には揺れる
私は風に身を任せる

縛り付けられるのを嫌い
縛り付けられるのを求める
気まぐれでもあり
気まぐれを良しとしない
私は風にはなり切れない

風よ
気ままであれ
風は
風を運んでくる
秋桜は儚い美しがある
だが
決して弱い花ではない

2013年10月20日日曜日

秋雨の日に・・呟く

2~3歳までの子供が一番大好きな
アンパンマンの世界を画いた
やなせたかしさん
この間94歳の生涯を閉じた有名人だが
この間訪れた観光客も少ない
「胡麻の郷」という資料館のキャラクターを
生み出している。
彼は様々な依頼を受け
無料で作品を生み出している
そんな有名人でもある。
ポツポツ パラパラ
ポツポツ パラパラ
アメガフッテイル

ポツポツ パラパラ
ポツポツ パラパラ
アメガオチテクル

秋が音を立てている
秋が語りかけてくる

ポツポツ パラパラ
ポツポツ パラパラ
アメガフッテイル

ポツポツ パラパラ
ポツポツ パラパラ
アメガオチテクル

2013年10月18日金曜日

木の実のクラフト展

 曇り空の元気の出ない休日に
ふと出かけた場所で素敵な出会いがあった。
 クラフトを作成している70代の女性は
お話したらとても素敵な人でした。
 全て自然の物だけを使用して作品に仕上げていると
説明をして貰った。
形にするより、使用する自然の物の
下処理に時間を要するとのこと。
売り物ではないそうで、ここでしか見れない作品たち。
撮影許可を頂いて作品を眺めつつ映す楽しみを味わった。
 作品を本にして出版してもいいのにって
お話したら
本にするのにもお金がかかるからって・・・
勿体なさすぎだ・・・。
 岐阜新聞が撮影に来ていて
見学者として、新聞に載せてもいいかと言われて
まぁいいかって許可をしちゃった^^;
その新聞の記事を目にすることもないしね^^¥
リースや動物も合わせれば300点以上の
作品が展示されていて、どれひとつ
同じものはない一点ものとのことだ。
機会があれば、もう一度
逢いに行きたい子たちが一杯だった-☆

2013年10月17日木曜日

急に12度にっ!

仕事の朝
布団から出た瞬間
おっ!寒い~~
室温を見たら14度位だった。
ネットで見たら最低外気温が12度位とあった。
なんと・・・秋はどこ?
そんな気分になる気温。

台風が来る前は
32度位の気温もあったのに
急に台風一過の後
11月中頃の様な気温になって
びっくりしてしまう。
猛暑が続くと一気に冬に近づくみたい?
優しい秋に出逢えるか不安になってくる。

北海道は初冬を迎え雪が降ったと聞くし
伊豆で大被害を招いた台風26号の後に
また更なる台風27号が、
マリアナ海峡付近で発生したとあった。
地球温暖化の悪影響か?
これほど自然が読めない気候が続くと
元気な私も体調を崩しそうだ。
秋をもっと楽しみたいと考えている私の為に
自然よ
そんなに急ぎ足で進まないでと
手を合わせてお願いしたい12度の朝。

2013年10月15日火曜日

ルーツを視る

今回、お葬式があって
親族と会食する機会があった。

夫の親族とも私の親族とも
冠婚葬祭等でしか会う機会がないので
たまに合うと近況情報確認の会話から始まる。
今回は夫側のお葬式だったのだが
みんな年を重ねた顔で
お互いの健康状態をまず確認した。

しかし
これほど親族と疎遠なのは
県民性や地域性
それぞれの親族との関係だけではなく
時代の流れによる影響や
住む地域が広がったことも
大きな要因ではないだろうか・・・と感じた。

ちょとした行事があるごとに
お付き合いをしていた時代があったように
今は密着した関係が、しんどいと感じる
時代感があるのかもしれない。
私も、確かに密着しすぎるのは
苦手なタイプなのでわからないわけではない。
でも
冠婚葬祭だけの付き合いなんて
何だか
ほんとうに形だけだなぁと改めて感じた今回。

だとしても
自分のルーツの流れを把握する
親族との関係を
我が子にも伝えてゆかなければならない。
形だけだとしても
そういう繋がりを意識し把握する機会は
人として生まれてきた以上意味があると思うから。

2013年10月13日日曜日

希望

生きる道に
無くてはならないものがあるとしたら
それは希望だろう

希望がない日々に
明日はないから

枯れた大地に
新しい芽吹きを視る

盲導犬の助けで
暗黒の世界に光を見る

愛する人が
元気で私の傍に立つ

希望を失うことがあっても
人間は月日の中で
明日を生きる為に希望を探しだす

希望を探せない人は
己を見失うから

歩く道に
無くてはならないものがあるとしたら
それは目標という希望だろう

2013年10月12日土曜日

風まかせ

風が吹いている
強弱
リズムを取りながら
それでいて
規則に囚われず
自由に
風まかせで吹いている
私も
あるがままに生きてみたい
風は
私を誘うように吹いている
**********
昨日は帰宅が遅くなって
疲れて、何もする気が起らず
早々に寝てしまった。

昨日は、前期成果報告で
一日PCの前で作業をしていた。
PCの前で数値や文字ばかり眺めて
作業をすると
私は疲れるように出来ているらしい。
まじでっ!
動ける現場がいいと思った日。

2013年10月10日木曜日

伊勢神宮

 本日晴天の中、伊勢神宮へ参拝した。

六十二回神宮式年遷宮の年で
お参り客も驚くほど多い。
これが土日だったら、もっと凄いことだろう。
何年か前に参拝した時とは大違い。

泰祝舞楽の舞も、運よく見ることが出来て
ちょっと得した気分-☆
 財界や政界の、おエライ方々がご夫婦で
参拝されている姿を何名か見かけた。
五十鈴川の透明な流れで気持ちを清め
長い砂利道を進んで内宮へむかう。
盛装したご夫婦や着物を来たご婦人も多い。
深い森林の奥は日陰が多く
風も涼やかで、汗がすっと引いてゆく。
神宮内の尾長鶏がひょこひょこ出てきて
妙に愛らしく見えるから不思議だ~^^・
おかげ横丁や、お土産通りで
多くの観光客の間を通り抜け
ちゃっちゃっと赤福を買って、帰宅した。
今日は、ほんとっ!
夏の日差しで、汗びっしょりになった。

2013年10月9日水曜日

失敗

わたしはちょっと気を配れば
しないで済んだ失敗を時々する
そんな時は落ち込んで
二度と這い上がれない気分になる

人間は誰だって失敗をする
人間は失敗をする生き物だ
当たり前の事実を述べても
失敗のカバーなど出来ない

なんであの時
注意しなかったのだろう
なんでなんでと悔いだけが
ぐるぐるまわって私を責める
友人は私の失敗を笑わない
気の毒にと思う程度で終わる
自分だけが失敗に囚われて
苦しむことになってしまう

苦しんでそれを今後に生かし
二度と失敗をしないかと言えばそうでもない
また失敗を繰り返し学びの意味など無くして
また深く落ち込むことを繰り返すのだ

悲しきかな人間という私
悲しきかな私という人間
悩み無き苦しこと無き日々など
こうして無縁な日々を歩いていく

2013年10月8日火曜日

金木犀

I love you
I love you, too
Both; yearned
Throb
Be excited
I am in happiness
When I want to see the smile of the partner
I let sweet nothings be fragrant
私は貴女が大好き
貴女も私が大好き

両想いになった
どきどきして
わくわくして
幸せの中にいる

相手の笑顔がみたいと
愛の言葉を香らせる
***********************
金木犀は単純な花びらだが
香りはとても優雅だ。
外見じゃないってことを証明している。

2013年10月7日月曜日

ありきたり「在り来たり」

 人生の道しるべは
いつだって
ありきたりな物事(事実)の中にある

そのありきたりなことを
日々の中で
認識できていないと迷うのだ

それは
特別なことではない
格別なことでもない

例えば
道に転がっている石をければ
何かに当たったて危険である

例えば
前方不注意で道を踏み外せば
溝に滑落して痛い目をみる

例えば
誠実に対応し続ければ信頼される
努力し続ければよい結果を出せる

例えば
タンポポの種は風が吹けば
生きる大地を探して芽を出す

当り前でありきたりのことだけど
事実なことのみ述べているに過ぎない

だから
この例えばを幾つも言える人に
幾つかの道は標されるに違いない

2013年10月6日日曜日

寂寞

 夕暮れの空から

落ちてくる寂寞は

どうしうようもなく

ココロの中で育ってゆく

手を掲げて探す夕日は

既に落ちて彼方に消えていた

あなたの住む街にも

静かに落ちてゆく夕闇が

あなたを寂しがらせていないだろうか

家族がいても

家族がなくても

人は孤独を背負って歩く日がある

わたしがそうであるように

あなたもそうであるように

寂寞を抱きしめて明日を待つ

そんな時を視る時間がある
今日はお休みっ♪
早朝から町内の大掃除で久しぶりに
鎌を持って草刈をしたら
指に水泡が出来てしまった^^;
その後気を取り直して
娘と久方ぶりに「ユニクロ」に行って
紅色と黒の長そでシャツと一枚の上着を買った。

そして昼食と夕食を、娘と一緒に作った。
その後、午後から居眠りしつつ
映画を3本みたっ-☆
夕方から娘はおで出かけしたので
今はBSでヨーロッパ水風景を見て
海外散策気分を楽しんでるっ^^¥

2013年10月5日土曜日

プロムナード(キズナ)

 ココロのプロムナードを
歩いた日に紡ぎし糸を手繰り

語りゆく道行きに
枯葉が語りかけてくる
過去現在未来と歩きしも
永久などありはしないから

肩を寄せて頬を寄せて
手を握り心を繋ぐのだろう
 わたしも
あなたも
風に耳をすまして
花に目を遊ばせて

ココロに再び灯りし火に
そっと息を吹きかけてゆこう

2013年10月4日金曜日

おもてなし

オリンピック招致で滝川クリスタルさんが
客を迎える日本の伝統的な精神を
「お・も・て・な・し」と表現して
マスコミから脚光を浴びた。

しかし、平安時代は
もてなすは単純に「取扱う、取り計らう」レベルの理解で
使われていたようだ。
源氏物語や、松尾芭蕉の奥の細道などでは
「お」なしの「もてなし」と表現されているとある。

徐々にお客を招く日本的サービス精神として表現するため
「お」がついて「おもてなし」と美しい表現に
変わっていったようだ。

「サービス」とは
本来接客業をする場合によく用いる表現で
相手が心地よく過ごしてもらえるよう
一定のマニュアルに沿った配慮である。

「おもてなし」とは
自宅にお客を招く時に用いる表現で
相手が心地よく過ごしてもらえるよう、
かゆい(微細な)ところまで届く日本人特有の心配りである。
そこには画一的なマニュアル以上の精神を付加する
招く側の対応を示している。
お客それぞれに沿った気遣いや心配りを言うのだ。

二つは、お客に不快な思いにさせないという点では一致するが、
そこにより深い心配り(配慮)が加味されるかどうかの違いがある。

だが、わたしは、
日本独特のものだとはあまり思っていない。
海外でも自宅でパーティーやゲストをお招きをする場合は
当然招く相手に合わせた配慮をするだろうからだ。

家庭に招く以外の場面でも
きめ細かいサービス精神を持ち合わせている
日本独自の考え方を
「おもてなし」として表現したことが
日本人の心に誇りと自信を植えつけたに違いない。

「おもてなし」精神を忘れつつある
日本人が増えている。
この機会にまた日本精神に誇りをもち
守ってゆく意識が育つといい。

2013年10月3日木曜日

継承

踊ろう
秋風を音色に

気の向くまま
自由であるように

バランスの上に立ち
均衡を守っていく

私は承け継ぐもの

踊ろう
命のドレスで

儚さと気高さを
輝きの意味に変えて

あるがままの中で
有限の時を歩みゆく

私は受け継ぐもの

***********

自然はただあるがままに
歴史も文化も人が作り上げたもの
どちらも、継承し、続いていく。

守るべきもの
守らねばならないもの
消えて欲しくない
大切なものは継承し続けて欲しい。
生物が生きる
生きやすい地球を造る為に。

引き継ぐ
承け継ぐ
その真価を誰に問えばいい。

人間だけの価値感で決めるのは
おこがましい「継承」という言葉。
多角的視点から捉えたいものだ。

2013年10月1日火曜日

鍵をみつけよう!


待っていても
答えはでない

黙っていては
伝わらない

文句ばかりでは
解決しない

嘆いてばかりでも
先へ進まない

答えが欲しければ
動くことだ

具体的に
動くことが自分の道を開く鍵