2017年8月15日火曜日

悩む必要が無いかもな、の悩み

地球上には
人間同士が簡潔に且つ
誰でもが、わかりやすく
会話や言葉を理解し合えるような言語は
存在しない。
 
この世界には
過去の言語も含め
多くの言葉(言語)があり
何か国語が話せても
それが全てでは無く
翻訳や解説があってさえも
全ての
違う国々の人と相互理解は不可能だ。
地球が宇宙から見れば
小さな星かもしれないが
人間一人にとっては
とてもでかい世界だから
至る国々で、様々な言語が存在する。
 
今は
ネットで気楽に検索すれば
ある程度は
知らない国を知る、知識を得ることは出来る。
しかしそれが全てではない。
やはり、その国の言葉を知り
文字を理解できてこそ
理解は、より深まると言うものだ。
だが、ふと思う。
自国に住んでいてさえ、自国のことを
100%理解
出来ている人は、たぶん、いないだろう。
博識ある人でも、ある程度
興味あることにしか、特化できないし
幅広く知れば、深くは学べないし
深く学べば
全体を知る機会は少ない。
 
従って、人間が理解できる範疇は
ホント少なくて
博識じゃない、私の理解できる
範疇は、さらに、ごくごくわずか、だ。
 
そんな人の方が
たぶん、多くて・・・
そんな人が持てる知識の世界で
もがいて、悩んで生きている。
雲上に上がるほど
見える風景は、ちっぽけだが
世界(地球)は
ホントは、凄く広くてでかいってことを
改めて、意識させられる。
 
そんな風景を捉えて
箱庭みたいに見える
住む世界で
悩んでいることが、小さく見えるって
良く言うけど
それって、世界は実際広いってことを
意識させられているんだなあって~^^*
知識って膨大だし
学べることには限りがある。
死ぬまで私は
自分が理解できる、狭い(知識)世界観の中で
もがき続け、悩み続け
時には、笑って生きていくんだろうなぁ~
達観できるって、ほんと、凄いと思いよ。
まだまだ、の私。

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