2023年7月8日土曜日

祈るという意味と価値

私は
神も仏も信じてはいないし
存在してもいないと信じている
だが
その中で語られる道徳的な教えは
否定しない
人間の欲望が
戦いを招き
殺伐とした戦いが続いた時代に
人としてあるべき姿を
その時代の逆説に負けず説いた人々がいた。
説いた人たちの言葉が
人の心を諭し癒した結果
説いた人々は
いつか
神だとか仏であるかのようにあがめられ。
いつか、そう言う存在であるかのように
人々の中で広まり始めたのも
人が唱えた言葉と言うより
神とか仏(見えない聖なる存在)が
説いた説としたほうが
効力が増したからに過ぎないのだろう
だから
神社仏閣に行っても
合掌して願うことは殆どない。
祈って、願って安易に叶うものなど
ありはしないと
今まで生きてきて学んでいたのもある
どんな願いも
自分が、叶えたいと強く思い
それに向かって
努力すること以外に道は無い。
たぶん
多くの人は
そうであることを悟っているはずなのだ
だだ、自分の気持ちを
そこで手を合わせることで
誓いを立ててているだけのことなんだろうと
察しては、いる
神頼みで叶うものなど絶対無いから。
だから
祈ることは決して悪い事ではない
自分の意識に
動機付けさせるセレモニーなのだから。
それを
ただ祈っておけば
いつか運が巡って、願いが叶うかもしれないなどと
安易な思いで手を合わせること自体価値は無い
自分を奮起させたい時にこそ
祈る価値はあると私は信じている
だから
神社仏閣を訪れても
安易に祈ることなど私はしない
神仏を信じているわけじゃないけど
神社仏閣が果たす価値に対しては
リスペクトすべきだと理解している
それらが現在まで続く意味は
人間が人格者であろうとする願いが
一本の柱として
脈々と流れているからだ。
人は
何時だって欲に悩まされる
それを本来なら
自分の心で制御すべきことなのだが
出来ない人が多いから
神社仏閣に、よりどころを求める
人がいるということ
リスペクトしてます
感謝していますと
言う意味で
祈る人もいるかもしれないが
それを否定はしないが
私は、価値あることだとは思っていない
感謝する対象は
頑張る自分を支えてくれる人や
良き自然や運に恵まれたということなのだ
「自分の心に手を合わせる
それに価値がある」
良き人でありたい
夢を勝ち取りたい
病気が回復して欲しい
等々
自分と向き合う祈りが
願いに近づく
まず一歩だと私は信じている
悩みや苦しみと言う
障害は、自分が作る壁だから
神や仏が
ぽーーんと
その壁を取っ払ってくれはしない
先人たちが
様々な苦悩から学んだ教えや
自分が乗り越えた経験が
前に進む道しるべになることが多い
だから
多くの先陣から、教えを学ぶべきだと
感じている
その教えを知識として蓄え
経験で活かし
困難な時に
自分の心と向き合う姿勢が重要なのだ
祈りとは
そういう姿勢があってこそなのだと
私は理解している
独り言^^:

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