地球上には
人間同士が簡潔に且つ
誰でもが、わかりやすく
会話や言葉を理解し合えるような言語は
存在しない。
この世界には
過去の言語も含め
多くの言葉(言語)があり
何か国語が話せても
それが全てでは無く
翻訳や解説があってさえも
全ての
違う国々の人と相互理解は不可能だ。
地球が宇宙から見れば
小さな星かもしれないが
人間一人にとっては
とてもでかい世界だから
至る国々で、様々な言語が存在する。
今は
ネットで気楽に検索すれば
ある程度は
知らない国を知る、知識を得ることは出来る。
しかしそれが全てではない。
やはり、その国の言葉を知り
文字を理解できてこそ
理解は、より深まると言うものだ。
だが、ふと思う。
自国に住んでいてさえ、自国のことを
100%理解
出来ている人は、たぶん、いないだろう。
博識ある人でも、ある程度
興味あることにしか、特化できないし
幅広く知れば、深くは学べないし
深く学べば
全体を知る機会は少ない。
従って、人間が理解できる範疇は
ホント少なくて
博識じゃない、私の理解できる
範疇は、さらに、ごくごくわずか、だ。
そんな人の方が
たぶん、多くて・・・
そんな人が持てる知識の世界で
もがいて、悩んで生きている。
雲上に上がるほど
見える風景は、ちっぽけだが
世界(地球)は
ホントは、凄く広くてでかいってことを
改めて、意識させられる。
そんな風景を捉えて
箱庭みたいに見える
住む世界で
悩んでいることが、小さく見えるって
良く言うけど
それって、世界は実際広いってことを
意識させられているんだなあって~^^*
知識って膨大だし
学べることには限りがある。
死ぬまで私は
自分が理解できる、狭い(知識)世界観の中で
もがき続け、悩み続け
時には、笑って生きていくんだろうなぁ~
達観できるって、ほんと、凄いと思いよ。
まだまだ、の私。
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