2013年8月14日水曜日

老いの残酷

私は少しづつ老いてきている。
だが
身体が老いても気持ちは違う。
さすがに
20代の大胆さはないにしても
まだ
30代頃の好奇心はあるし
人を想ったりする気持ちや
冒険心だって消えてはいない。

さすがに
ちょっとだけ、熱意や意欲に
陰りはあるにしても
興味があることには
まだ十分行動できるパワーがある。

気持ち(心≒思考)と身体が伴って
人はバランスよく生きていける。
だが、老いることは
身体が先に老いてゆき
気持ちは後から追いかけていく
理不尽さがある。

だから
気持ちがあっても、体が動かない
そんな悲しい現実を経験しなければ
ならなくなるのが、老いることなのだ。

若い人から見れば
がんこになったり
涙もろくなったり
動作が緩慢になって
扱いにくい老人ではあるが
老人にだって若い人に負けない
柔らかい心が隠れているのだ。

老いた人が
豊かな感性を、画いたり
言語で表現出来たり
柔らかい女心を表現したり
異性を求めたりする。
これは決して老いることとは
関係ない部分であると認識すべきだ。

身体が老いることと
気持ちも同時に老いれば
老いることも辛くはないかもしれない?
でも
そうではないからこそ
老いることを残酷だと悲しむ人がいるのだ。

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