2012年6月24日日曜日

たんぽぽ

「ふまれて タンポポ
ひらいて タンポポ」
種田山頭火の詩だ。
山頭火の詩には命の言葉がある。

庭で咲いていた白いタンポポ
きっと日本ではなく西洋たんぽぽの
種類かもしれない。

ブログにコメントを届けてくれた
虫が苦手のネットの友人の以下コメントだ。

「ふと[虫けら同然とか]って言葉があった事を思い出し
見下した言葉。。。でも虫達に何も関係ない 
一生懸命短い生命生きてるのに なぜなんだろう?」

彼女が語るように、人間は自分より弱いものや
種類の多く貴重さを感じないもの
または自分がその価値を認めないものを
卑下した表現を用いて見下していることがある。

雑草もしかりでタンポポなどはその典型だ。
だが、
踏まれても強くどこでも生きていく強さがある。
虫だってそうだ。
一生懸命、命がけで餌を探し生きている。

人間でその必死さをもって
生きている人を私の周りで
あまり見かけない。

そのくらいの必死さがあれば
そのくらいの努力をすれば
叶えたい夢が実ことだろう。

言葉をもじってみて
「ふまれて わたし
ひらいて わたし」
こんな心境で今を生きてはいない
保全第一の私を意識してしまう。

でも、自分の人生
ここまで歩いてきた道のりは平坦ばかりではなく
苦労し乗り越えたこともたくさんあったから
山頭火の詩に自分を見る時もあるのだ。

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