「人間の存在意義は
利用価値や有用性によるものではない
野に咲く花のように
野に咲く花のように
ただ〈無償」に存在している人も
大きな立場から見たら
大きな立場から見たら
存在理由があるに違いない」
:
ハンセン氏病と歩んだ精神科医師
:
ハンセン氏病と歩んだ精神科医師
神谷美恵子
「生きがいについて」より抜粋
:
神谷氏が
人間存在の意義を述べるには理由ある。
そこには
精神科医師として歩んできた経緯がある。
精神科医師として歩んできた経緯がある。
ハンセン氏病で隔離され
さらには
精神疾患まで患い
家族や友人と触れ合う機会や
学ぶ機会すらも与えられなかった
学ぶ機会すらも与えられなかった
「無償に存在する人々」への
深い愛から発した
深い愛から発した
人間の存在意義なのだ。
私は
幸せなことに当たり前に社会で生きている。
幸せなことに当たり前に社会で生きている。
先ほどの論点からは
視点が変わるかもしれないが
人間の存在意義に関して、感じることがある。
人は常に相手を評価する
自分と比べて
世間の常識と照らし合わせて
そして
相手を非難し、自分の価値で裁く。
人殺しや犯罪は
法廷で裁かれても仕方がない
だが
それは法廷に任せて置くべきことで
私たち一般人は
報道で、あれこれ批判や評価などに
躍らされず
その人の存在意義から、学べばよい。
私はいつもそう思っている。
無償の人はもちろん
素晴らしき博識人も
どんな酷い悪人も
存在意義、理由は
あるのではないかも感じている。
博識ではない私が
述べる意見は
稚拙で早計かもしれない。
だが合えて
感じたことを、述べるとしたら
私たちは
どんな相手であれ
どんな相手であれ
批判や嫉妬や評価(批判)に
終始するのではなく
そこから人として学ぶべき
相手の存在価値を
見出せば良いのだと、思うのだ。
どうだろうか・・・。
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